今回は,さいたま市内の日光(にっこう)御成道(おなりみち)とその周辺を訪ねます.まずは緑区の大門から北上して中野田のあたりまで.
日光御成道は江戸時代,徳川将軍が日光東照宮へ参詣するときに使った道です(図の赤い線).本郷追分で中山道と別れ,川口宿,鳩ケ谷宿,大門宿,岩槻宿を通り,幸手宿の手前で日光道中と合流します.日光道中は千住,越ヶ谷,草加,粕壁(春日部)を通っていますが,日光御成道は大宮台地上を通る中世からの古い道――鎌倉街道(図の緑の線)とほぼ同じ道筋をたどっています.初期の参詣では大門を通らずに岩槻へ出る道や,日光道中も使われましたが,1697(元禄10)年大門が宿場に定められてからは,主にこの道が御成道として使われるようになりました.
私が初めて日光御成道を知ったのは高校2年の夏休み,クラブ活動で大門周辺の民俗調査(のようなもの)を行ったときです.部員がグループに分かれ,地域のお年寄りに昔のお話を伺ったり,墓地や道端にある庚申塔や板石塔婆(板碑)などの石造物を調べて歩いたりするというものでした.そもそも私は,調査の何たるかを把握しないまま参加していたぼんくら部員だったので,思い出すことと言えば調べた中身ではなく「暑かった!」ということばかり.ただ一つ記憶に残っているのが日光御成道(以下御成道)なのです.大門周辺に行ったのはそのときが初めてで,その後も御成道や大門と聞くと懐かしく思いながらも訪れる機会はありませんでした.
今回は東川口駅から大門へ行き,そのまま北上して南部領辻や中野田あたりまで歩くことにしました.御成道は車の往来が激しく昔の街道の面影はありませんが,台地上を通っている道だと実感できることや,路傍の庚申塔,道幅の狭さなどに旧道らしさが感じられます.大門宿では大門神社,本陣と脇本陣の長屋門,大興寺なども立ち寄りましたが,これらは街道歩きの本に必ず紹介されているので,主に武州鉄道に関連した場所と,懐かしい風景に出会えそうな,街道から少しはずれた所を巡ることにしました.(記 並木せつ子)
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