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暗渠こぼれ話:天王川通りはむかし 

天王川という名まえを知ったのは,1974(昭和49)年に開館した,北浦和図書館に勤務していたときです.児童室に来る子どもたちから聞いた「てんのーがわ」――これが「天王川」で,図書館近くを流れる川だということは追々知るのですが,かつてはウナギもとれたという流れも,昭和50年代前半には「どぶ川」となっていました.これが<住民泣かせの川>だということも追々知ることになります. 

天王川は藤右衛門川の上流で,幅2メートルほどの小さな川ですが,集中して雨がふるとすぐに浸水被害が出る<はん乱川>でした.私が見たのは,浦高通りが冠水している光景です.大型バスはともかく,二輪車や歩行者が天王川を渡るのはとても困難な状況で,川のそばの家や店にも水が入り込んでいました.魚店は商売がら長靴をはいていたせいか,傍目には落ちついて見えましたが,当事者としては困り果てていたはずです. 

1967(昭和42)年の市報でも,天王川は藤右衛門川とともに<浦和市の水害常習地>と指摘されています.その後,藤右衛門川は改修され浸水被害から解放されますが,天王川は相変わらず<はん乱川>のまま,改修プランも示されなかったので,1979(昭和54)年5月,天王川流域住民たちは市長に直訴しました(「埼玉新聞」).記事によれば,この年は既に3度も浸水被害があったとか,<雨のため不安な生活を送っている>という住民の訴えはもっともなことです. 

1986(昭和61)年,「埼玉新聞」に<天王川通り工事終え渡り初め>という記事――やっと暗渠化が終えたようです.はん乱川から遊歩道へ,長い道のりでした. 


駒場の天王川に掛かっていた土橋と本太幼稚園児(浦和区・昭和39年),今は暗渠遊歩道に. 

(『写真が語る さいたま市の100年』いき出版 2021年刊 より) 

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