まち歩き「暗渠」シリーズの最後は,暗渠ファンによく知られている藤(と)右(う)衛(え)門(もん)川(がわ)流域に足を運びます.荒川水系一級河川の藤右衛門川.地元では谷田川とも呼ばれ,かつては鰻がとれ名物となり,今でも老舗の鰻屋が多くあります.藤右衛門川流域は谷が無数にあることから豊富な支流群があり,変化に富んだ地形で凸凹の密集エリアと言います.まちの歴史に思いを馳せながら,いくつかの水系を辿って流域を歩きます.
洪水被害をうけ,治水化された藤右衛門川流域
もともと耕作地が広がっていた旧浦和市.かつて藤右衛門川は米作に役立ち,小魚類も棲息する川でした.高度経済成長期以降は都市開発が進み,藤右衛門川流域一帯も急速に宅地化が進み,住宅が密集したことで行き場を失った雨水が藤右衛門川や河川に集中し,大雨が降る度に川が氾濫するようになります.1958年の台風で多くの浸水被害を受けた住民は,治水化を求めて同年「谷田排水路改修促進会」を立ち上げ,地元自治会と県・市行政と一体となって水害防止対策に取り組みます.
藤右衛門川改修までの歩みを記した「藤右衛門川改修記念工事 わが街25年の歩み」によると,「昭和33年には180戸,720人で全体の90%が農地だったのに,7年後の昭和40年には550戸2300人で全体の80%が宅地に変わってしまった」と記されており,家屋への浸水被害も1958(昭和33)年の台風の時は300戸だったのに対し,1965~1966年(昭和40~41年)の度重なる豪雨ではいずれも1,000戸を超えています.谷の多い土地柄,雨水が溜まりやすく,住民たちがいかに洪水に見舞われていたかが分かります.
1973(昭和48)年に水害氾濫地域の防止対策として雨水幹線工事(暗渠化工事)が進められ,1981年に改修工事が完了.暗渠化にあたっては木蓮や椿,ツツジ,さつきなどを植樹し,環境美化に貢献したことも記され,住民たちの声が暗渠化を推し進め,まちの景観を創ったことが読み取れます.
浦和競馬場を貫く藤右衛門川
JR京浜東北線与野駅から浦和駅辺りを上流部とする藤右衛門川流域は,与野駅,北浦和駅,浦和駅の東側を中心に細流支流が縦横無尽に巡っています.
与野駅東口周辺を上流域とする天王川水系と,木崎辺りから浦和駒場運動公園に向かって流れてくる神花雨水河川と大東雨水幹線が,細流支流を集めながら駒場と本太の境あたりで合流し,浦和駅東口辺りから流れる日の出川水系とも合流して一本の藤右衛門川となり,南区の浦和競馬場へ流れていきます.
藤右衛門川通りと名付けられた暗渠は競馬場手前で開渠になり,馬場では競走路の下を通って真ん中を開渠で貫き,場外へ抜けて川口の芝川に流れます.その距離およそ8キロ強.実に壮大な流路のつながりです.
競馬場はレースのない日は一般開放されており,トラックの内側は公園として整備され,ランニングやウォーキングなど思い思いに過ごすことができます.馬場を流れる藤右衛門川は競走馬が走るトラックで蓋をされていますが,真ん中を貫く開渠は鉄鋼で補強され水の流れが見えます.洪水の時には大量の水を一時的に溜められるよう調整池も造られており,治水の重要拠点でもあります.
バリエーション豊かな暗渠と開渠と暗渠サイン
藤右衛門川流域は,コンクリートや鐵板(てっぱん)などで塗装され蓋をされた暗渠,木蓮やツツジ,椿などが植樹された遊歩道,はしご式の開渠,護岸の割れ目から水が湧き出ている開渠など多彩な姿を見せてくれます.暗渠サインの車止めもさまざまで,狭い小径に複数のポールが密集していたり,不自然に斜めに設置されていたり,サッカーボールのマークがあったりと目にも楽しく歩けます.
また,排水管や下水道管が通っていることがわかるマンホールも多々あります.“雨水”“おすい”と記されたマンホールは下水道の処理方式を表わしていて,処理方式は合流式と分流式の2種類.合流式は汚水と雨水を同一の下水道管で処理し,分流式は汚水と雨水を別々の下水道管で処理する方式です.汚水は下水処理場で処理し,雨水は河川へ放流されます.藤右衛門川流域は分流方式であることがマンホールから分かります.市内には合流式で処理している地域もあり,マンホールには“合流”と記されています.
道祖土小学校の校庭を貫く暗渠と暮らしの跡
暗渠は学校のグラウンド下を通っていることも多く,大東雨水幹線にある道祖土小学校は,校庭を横切るようにコンクリートで蓋をされた暗渠が通っています.住宅地を流れてきた流路が,校庭端のU字溝に流れる湧水を集めながら暗渠となって貫いているのです.U字溝には校庭の端の数か所から湧く水が流れ込み,ザリガニが棲息していると言います.
校庭を横切った暗渠は,駒場運動公園の裏手へ流れる開渠へと姿を変えていきます.公園裏の開渠ははしご式の開渠になっていて,金網を沿うように枯れ枝を踏みながら分け入っていくと(1人で通ることがやっとの幅),護岸から湧水が流れ出ているポイントがあり,水も比較的綺麗で流れる音が心地よいです.
周辺を散策すると,井戸から水を汲むポンプを発見.水道が普及する前はほとんどの家庭に井戸があり,ポンプ式の井戸で飲み水や生活水を得ていたとか.かつての暮らしの名残を発見するのもまち歩きの醍醐味です.
細流支流を感じながら,目にも楽しい暗渠
駒場運動公園周辺へ流れつく神花雨水河川と大東雨水幹線.住宅地の間をぬうようにくねくね,くねくね……,狭い小径と通りが交差するポイントには,車止めのポールが何本も密集して立てられ,身体を捻りながら通り抜けます.古さを感じるコンクリートや鉄板で蓋をされた場所,金網で整備され通り抜けできない暗渠もあり,くるくる表情が変わります.狭い小径も多く,何だか,そこで暮らす人たちの日常に紛れ込んだような錯覚になります.
一方,天王川水系は遊歩道として整備され,蛇行しながら気持ちよく歩けます.遊歩道は煉瓦色のコンクリートなどで蓋をされた通りが続き,さいたま市章が刻まれているので合併後に整備されたことが分かります.天王川はかつてフナやドジョウ,鰻が捕れ,名称の由来も夏に流行る疫病を封じる牛頭(ごず)天王からきていると言われています.
遊歩道の一部は天王川コミュニティ緑道として整備され,かつての河川には小魚類が棲息していたことを想像できるよう魚や蛙のマーク,川筋や橋が施されています.脇道に入っていくと金網で閉ざされたコンクリートの蓋暗渠や細い開渠があり,細流を感じさせます.谷の多い藤右衛門川流域,まだまだ細流支流を感じる暗渠がありそうです.
3回にわたって暗渠めぐりとなったまち歩き.川の痕跡を探したり,地形の凸凹を感じたり,かつての暮らし跡を発見したり……,日常に紛れこむような暗渠めぐりは,まちを見る視線を変えてくれます.地上から見えない水路の世界はまだまだ奥深く,調べて,歩いて,感じて.まちの歴史と暗渠の魅力を感じるまち歩きでした. (記 三石麻友美)
参考)
浦和市・谷田排水路改修促進会:藤右衛門川改修記念 わが街25年の歩み 谷田川河川史;1982年
本田創ほか著:はじめての暗渠散歩;ちくま文庫,2017
吉村生,高山英男著:暗渠マニアック!;柏書房,2015
埼玉スリバチ学会監修:埼玉スリバチの達人;昭文社,2020
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