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歴史と文化を継ぐまちなみづくり

地域の魅力発見の旅へ

 まち歩きシリーズ,「日光御成街道」はいよいよ岩槻に入ります.徳川家康を祀る日光東照宮を参詣するため,将軍専用の街道とされた日光御成道.1617年に2代将軍秀忠が江戸を出発して日光に向かったのが最初の通行と言われています.3代将軍家光の時代まで,将軍社参は日光御成道ばかりではありませんでしたが,次第に将軍通行にふさわしい道として整備されていきました.いずれの道筋を辿っても必ず岩槻へ入り,通称「岩槻道」と記されているものもあります.

日光御成道の歴史からその魅力に迫る

 日光御成道の中で,最大規模の宿場とされたのが岩槻宿です.城下町の周囲は巨大な土塁と堀が取り巻き,十分な警備環境だったことから,岩槻城が将軍社参の際の宿泊にあてられたとも言われています.

 

 4代将軍家綱までは続いていた社参もいずれ途絶えてしまい,65年ぶり(1727年7月)に8代将軍吉宗が社参を復活させました.岩槻城での宿泊や休憩所の修理を幕府の費用で行い,整備のためにあらゆる法令を乱発.午前零時に先頭が,吉宗は午前6時に出発し,最後の行列が出たのは午前10時.午後5時に岩槻城に到着しています.現在だと車で約1時間30分,徒歩だと約7時間の道のりです.記録(有徳院殿御実紀)によれば,228,306人,馬は325,900頭に及び,つぎ込んだ費用は140億円とも言われています.この数字からも,規模の大きさがうかがえます.


 

 その後の社参も徹底した準備がなされ,道筋から2~3町以内の藪・林・枝の切り落としや石塔の取り除き,横道から不審者が飛び出して来ないように野道まで締め切るように取り決められたそうです.街道沿いの家屋は修繕もなされ,当日は約18メートルごとに火事に備えた手桶が置かれたのだとか.しかし,12代将軍家慶の社参を最後に日光社参は行われず,25年後(1867年)に徳川幕府が崩壊.日光御成道は本来の目的を失うこととなりました.

日光御成道の歴史を辿ると,経済や文化の発展に寄与し,今なお語り継がれる大事な役割を担っていたことがわかります.関わった多くの人たちの汗と涙と努力が目に浮かび,その役目を終えたことに寂しささえ感じさせます.

*東京都立中央図書館特別文庫室所蔵 出典:東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ)

人形のまちだけでない岩槻の魅力

 さて,そんな情緒に浸りながら,実際に岩槻に足を運んでみました.岩槻道に向かって進むと,「加倉」という地名に目が留まります.江戸から東北に向かう街道と交わる場所が加倉と呼ばれ,家康が鷹狩で岩槻を訪れる際には,この加倉に作られた出入口(加倉口)まで,岩槻を与えられた譜代大名が出迎えに来たそうです.城下町を含めた岩槻城の表玄関とも言える場所のようです.

 

 加倉には他にも興味深い話があります.岩槻で語り継がれている「加倉畷の戦い」(1560~65年頃の出来事と言われている)です.岩槻城に北条軍が来襲し,加倉にて戦いが行われたというもの.兵数の多い北条軍に対し,岩槻側は高低差を利用して敵を引き込み伏兵にて攻撃,みごと北条軍を撃退したという話です.現在も残る馬坂という坂は,馬の背や馬蹄に似ていることから名づけられたようですが,馬も転げ落ちるほどの急坂だったためにそう呼ばれたとも言われています.


 坂を超えると琴平神社が見えてきます.鳥居の周辺に昔の面影は残っていませんが,毎年2月10日に加倉のだるま市が開催され,縁起物としてだるまがたくさん並びます.だるま市が開かれるのは,人形のまち岩槻ならではのこと.これも日光東照宮の造営と深い関わりがあります.当時,岩槻が日光御成道の最初の宿場町だったため,東照宮の造営や修築に携わった工匠の中にはこの土地に住みついた人も多く,人形づくりをする人もいて,その技術を広めたと言われています.岩槻周辺は桐の産地でもあり,原料の桐粉が豊富で,水にも恵まれていたことが人形づくりに適していたようです.後に藩の武士や農家の人々の内職・趣味・兼業などとして受け継がれ,幕末には岩槻藩の専売品に指定されるほど重要な産業になりました.現在も人形のまちとしてにぎわい続ける岩槻を,当時の職人たちはどこかで見てくれているでしょうか.

300年前と変わらない景色を感じながら

 

 さらに進むと,久伊豆神社や浄国寺があります.このあたりが岩槻宿の入り口.浄国寺から見た夕日はすばらしく,きっと日光社参の折にも多くの人が目にしたであろうと思うと,感慨深いものがありました.


 さらに進むと,城下町を思わせる街並みが見えてきます.街道から脇道に入ると,急に時がとまったような気分に……最初に訪ねたのが「時の鐘」.300年前に城下町に響き渡った鐘の音を今も聴くことができます.朝6時,昼12時,夕方18時の1日3回鐘がつかれます.江戸時代から今日まで変わることなくそこにある鐘の音とともに,しばしタイムスリップしたようでした.

歴史につながる小道を散策して

 小道を入ると,いくつものお寺に辿り着きます.落ち葉を踏む音さえ響くような静けさの中で,しばし手を合わせ心を整えます.

 さいたま市の保存樹木「クロマツ」にも出会いました.松は古くから神の宿る神聖な木とされ,「神を待つ」という意味や,冬でも緑を保つことから不老長寿の象徴と考えられたり,縁起のいい木とされています.久伊豆神社の片隅にあった,村社と書いてある石塔にも惹かれるものがありました.明治時代に制定された神社社格の1つのようです.歴史を辿りながらのまち歩きは,すべてのものが物語をもっていて,語り掛けてくるように思えてきます.

 街道沿いに戻ると,足元に素敵な絵が張り巡らされていました.マンホールも岩槻らしさあふれるデザイン.トランスボックスにも日光道中絵図が彩られ,ラッピング装飾されていました.歴史を思い起こさせる発見の連続です.



地域に根づいた暮らしや文化を今に引き継ぐ

 街道の当時を描いた絵図を片手に歩きました.それには市宿町・久保宿町・渋江町・田中町が日光御成道の道筋として描かれていましたが,現在の行政地名では失われています.しかし,その中で「渋江」という名前が交差点にも使われていたので調べてみました.渋江町の由来は,台地からの絞り水が低地にたまり,柿渋のような赤い鉄分の沈殿物が見られたことから“シブエ”と名付けられたようです.渋江町を調べるだけでも「渋江鋳金遺跡」などまだまだ歴史のお宝がたくさん出てきます.地名の裏にも歴史ありです.


 この町並みは,岩槻歴史街道事業として整備されてきました.2016年に基本方針が出され,2021年からの5年計画で「まちなみづくり」と「みちづくり」を住民等と市の協働で進める事業です.コンセプトは人々が何度も訪れたくなるようなにぎわいの創出を目指すというもの.歴史と文化を市民の手でまちづくりに活かしていく取り組みを進めています.埼玉に長く住みながらも,歴史と共にこうしたまちづくりが進んでいるとは知りませんでした.


 歴史を知れば,目に見える景色の1つ1つに重みを感じます.岩槻にはまだまだ歴史の宝がたくさんあります.歴史を知って今を知る,そして今がこれから100年先に語り継がれる歴史をつくっている,そう感じるまち歩きでした.         

(記 大澤 美紀)

参考)

・歴史の道調査報告書第二集 日光御成道:埼玉県教育委員会,1984

・岩槻の情報誌 ら・みやび:一般社団法人ひなまちデザイン

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